花鳥風月記

流れる水に文字を書く

橇に残された約束~Fairytale of NY とMartha【酒井俊勝手にライナーノーツ】

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今回はちょっと遠回りな感じかもしれない。

今では、メールと言えば、Eメールで、PCよりも携帯メールがほとんど。
伝える内容は、より「個」を極め、内容もなんか薄い。
なによりも、その正体は「電子」なのだから、「0」と「1」の配列でしかない。

それでも、伝わるものに一喜一憂があるのだろう。

一昔前?のそれは、紛れもなく「手紙」だった。
交換日記の類はやらなかったが、(毎日、というのが面倒で…)
手紙はわりと書く機会が多かった。
そこには人それぞれの「字」があり、それが相手のイメージと重なる。
写メというものがないので、いつまでも当時のままの姿が残るだけ。
それでも太った・痩せた・髪切ったなど、分かりもしない報告がある。
四半世紀前はそんなんで、心が動いたものだった。

まあ、その詳細はどうでもいいとして、
机をいろいろといじったら、当時の手紙が出てきた。
自分が書いたものではなかったので、顔から火が出ることはなかったが、
送った本人は、どうなのだろうか、知る由もない。
(送りそびれたものもあったが、それは見ないでおこう)

当時の好きな音楽とか、映画とか、学校や会社の愚痴など
いろいろな話が書いてあった。

そのときに書いてあったのが、
ポーグスの「ニューヨークの夢(Fairytale of NY)」と
トム・ウェイツの「マーサ(Martha)」だった。

読んで、ものすごく驚いた。
当時は読み流してしまったものが、今、好きな曲になっている。
なんか歌の「縁」とは巡るものなのだなあ、と感じた。

ポーグスの曲は、クリスマスソングらしい。
歌詞が結構過激なので、日本ではあまり流れないが、
どことなく牧歌的なメロディとちょっとホロリ、とさせる
浪花節的な情景が綴られたラブソングと感じた。
酒井俊の邦詞は、ニューヨークという都会とは対極的な
雪に戯れる子どもの風景、もしかしたらそれを回想する憧憬が
歌詞に織り込まれている。
ライブでは、ピアノ(黒田京子)とヴァイオリン(太田恵資)での編制が最強で、
間奏のスリル感と、太田のハナモゲラ語?の掛け合いが面白い。

トム・ウェイツの歌は、40余年ぶりに昔の恋人に電話をする情景を歌っている。
確かに原曲のそれは、歳を経た感じに満たされている。
原曲のややジトッとした感じを、酒井俊はスッキリと歌っている。
これは、文化の違いかなあ、と。その意味では正解だなあ、と思った。
どことなく清々(すがすが)しい。

20歳の頃、この曲を聴いて、意味を理解していたら、
何か感じることはあったのかもしれない。

まあ、「あれからにじゅうねん!」と考えるのは
綾小路きみまろみたいにオチを考えなければならないので、
放っておこう。