花鳥風月記

流れる水に文字を書く

ザ・コーヴ

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何かと話題の絶えなかった映画を観てきた。
渋谷イメージフォーラムにて。
公開初日の顛末がテレビに流れていたので、どうかと思ったら、大した問題はなく、
イメージフォーラムの映画にしては、確かに人数は多いが、
それでも観客が一杯、ということはなかった。
そういう意味では、マスコミは罪だなあ、と感じた。

テレビドラマで、イルカが有名になったことで、
その調教師リック・オバリーが、その後のイルカの待遇に、罪悪感を感じ、
以後は、そのイルカの解放に心血を注いできた活動で、
和歌山県太地町のイルカ漁の残酷さを告発する、という内容。

作品の是非で、ドキュメンタリーなのか、プロパガンダなのか、という議論、
隠し撮りという手法や事実の捏造ということが問題とされている。
議論のすり替えになるかもしれないが、
この映画は、リック・オバリーを追うドキュメンタリーとしては、
秀逸なのかもしれない。

但し、太地町のイルカ漁を告発する内容としては、
気になる点が散見された。
先ず、映像にCGが用いられていること。
水銀が人畜に滞留するプロセスを説明するには分かりやすいが、
それがイルカとの関係が今ひとつ理解できなかった。
滞留するのは、何もイルカだけではないし、
その後、水俣病を取り上げて、企業・国家の問題とつなげても、
やや無理があるなあ、と感じた。

イルカが泳ぐシーンもきっとCGだった部分があったのではないか、とも思った。
視覚効果を意識しなければならない理由が何なのか。

隠し撮りにしても、撮影の執念は驚いたが、
正直なところ、物資にあかせてそこまでやるのは、
功利的なモチベーションも見え隠れする。
その辺は、それこそドキュメンタリー手法の文化の違いなのだろうか。

「人の営み」には、様々な問題はあるだろう。
それに是非の判断をつけるのは難しい。

確かに血染めの入り江(コーヴ)を見れば、
誰しもがその残虐さに眉をひそめるだろう。
しかし、いわゆる「屠殺」の瞬間は、概して見えないようになっている。
同じ映画館で観た「いのちの食べ方」という映画に学ぶことは多かった。

問題は、
「イルカ漁自体にあるのか」
「イルカ漁の漁獲量にあるのか」
「イルカに対する人間の向き合い方そのものにあるのか」
それがハッキリしないと、何を言っても平行線になるような感じがした。

上記の意味合いにおいて、
「イルカに対する人間の向き合い方そのものにあるのか」
ということに生涯をかけているリック・オバリーを追ったドキュメンタリーとしては
(いや、もしかしたら日本的には「ノンフィクション」かもしれないが)
秀逸ではなかったか、と思う。そこには善悪の種別が一つしかないから…。
それをそれ以上の解釈を求めると、きっと無理が生じるだろう、と思う。

念のため、なのだろうか、映画館に警官が一人張り付いていた。